2009年12月アーカイブ

団体戦だった。

団体戦だった。

結構なチーム数で、当別町や野幌からと遠い方面からも出場してきた。

その中で2年生男子Aグループは な な なんと、準優勝だった。いつのまにあんなに上手くなったんだろう。男子は来年の一年ぺも期待できそうだし、最近引退した3年生からなのだが、ずっと、ずっと黄金時代を迎えるかもしれない。男子のトップレベルの試合は見ごたえがあったので最後まで観覧してしまった。

さて娘の有希の女子だが、ほとんど一年ぺチームだというのに、予選1位通過、初めて決勝トーナメントに出場した。こちらもまたおもしろかった。トーナメント一回戦では西当別中の2年生チーム(ちなみにここが優勝した)に3?0で負けた。有希はそこのエースと対戦させてもらい、ほとんどスマッシュの餌食になった。ま いい経験になっただろう。

前回の団体戦は予選通過できなかったが、前回は選抜一軍の2年生チームばかりと対戦し、2勝2敗だった。大分実力をつけてきたといえるだろう。

団体戦は4シングル1ダブルス制で、計6人同士で戦う、最大5ゲームの3ゲーム先取ルール。有希が属する我が女子チームは6人の内5人が1年生で一人だけ2年生の先輩がいる。その一人だけの2年生の先輩と有希の同級生の1年生のYがダブルスを組んだ。有希の学校には特別学級というのはないのだが、普段は普通のクラスに属して体育とかはクラスメートと同じに授業を受けるのだが、国語とは数学とかは、別のクラスに行き、授業を受ける生徒がいる。この2年生の先輩もその特別授業を受けている。卓球の打ち合いは普通に出来るのだが、サーブ権がどっちだとかレシーブのポジショニングとかは残念ながらわからない。なので全てYがこの先輩に指示を出す。Yがミスをすると先輩は必ずYに「ドンマイ」と声をかける。自分がミスをすると先輩は胸の前で小さく両手で山を作り、合唱するようにYに詫びる。Yは先輩がミスをしても、気を悪くしない。終始、無表情なのだが、ちゃんと面倒見る。Yはそんな子だ。Yはラリーになると不利になるので、なんとか短期決戦的な勝負の仕方をする。うまくいく時もあるが、一発で決めようとする気持ちが空回りする時もある。



でも、この2人のコンビが見せてくれた。



最初2ゲームを取られた。あと1ゲーム取られて終わりの場面で、なんと巻き返したのだった。2ゲームを取り返した。Yの短期決戦作戦が功を奏した感じだった。

ゲームは2?2となり、ファイナルセットは1点取られたら1点取りのシーソーゲームになった。デュースになった。その後デュースを4度繰り返した。

同じ頃、娘の試合もやっていたのだが、自分はこのダブルスの試合に釘付けになった。

が、しかし結果は負けだった。なんとか勝たせてあげたかったのだが、残念だった。先輩は自分のせいではないのだが、手で山を作り、Yにあやまった。Yは右手を上げ「ドンマイ」を表現した。

Yは他の仲間の試合がまだ途中なので、控えの選手の後ろ側に周り、のどが渇いたのだろう、おっちゃんこしながら水筒の飲み物を口にした。飲み物は残り少なかったようで、中身を飲みほすように水筒の底を天井に向かって垂直に傾けた。Yはおじぎするように水筒と体をもとに戻し前かがみになった。飲み物を口に含んで素に戻ったのだろうか、床を見つめる格好になった瞬間、大粒の涙がぼたぼた床に落ちた。試合中なので声をあげて泣けないのだろう。声を殺すのに必死な感じと、苦しそうな呼吸の感じが、ふるえているように見えた。Yはダブルスもはじめてだったし、人の面倒を見ながらもはじめてだったし、せりあいの試合だったし、それよりもなによりも、どうしても勝ちたかっのだろう、いっぱいいっぱいな気持ちが堰を切って流れ出たみたいだった。Yの前に座っていた有希も含めた3人が、後ろのYのその異変に気がつき、後ろを振り返った。Yに声をかけられる状態ではなさそうだった。それほどYは激しく嗚咽していた。3人はもう一度前に向きなおった。向き直りは申し合わせたように、ほとんど同時だった。3人は目を見合わせることもなく、また目の前の仲間の試合経過を見据えはじめた。まるで何事もなかったように。

Yは最後の水筒の中身を駄目押しでのみほすように再度、天井を仰いだ。拭い忘れた涙の水分がほっぺたの上で毛細管現象を起こし、水銀灯の光が顔全体をてからせる。小さい子供が鏡を使って太陽の光をいたずらするように、顔が光をチカチカさせた。



シングルスで出場したければ、強くなるしかない。それはYが一番よく知っている。



自分はこう思った。悔しくて涙が止まらないYと、Yに表層的な慰めの言葉をかけようとしない周りの仲間達。



「あんた方が2年生になっている来年の今ごろ、きっとみんな、むちゃくちゃ強くなっているんだろうなぁ」と、そんな風に思った。

君達には、自殺も、いじめも、ネグレストも、カウンセリングも、虐待も、言葉の暴力も、リストカットも、貧困も、命の電話も無縁に思える。神経質なまでに大人が張り巡らした、そんなセーフティネットな考え方の全てが無縁に思える。

それ程、君達からは「生きる力」を感じることが出来る。



自分はダブルスの試合に感動させられた。いつもはクールで無表情のYだが、尋常でないあの涙の量に、もらい泣きさせられた。大人失格である。

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