2009年7月アーカイブ

卓球とサンロク祭り

本日有希は部活が休みだった。

朝、8時頃市場から帰って来たお父さんに向かって、

 「おと 卓球行こ!」



「アホ! 午前中は仕事しなかったら、おまえ ご飯食べられなくなるんだぞ!」



午後1時からは同じ卓球部の友達に連絡がついたみたいなので、有希は練習相手が出来た。

来週は1年生だけの大会があるらしい。一応全道まであるらしい。

二人とも、それに向けて、ひたすらトレーニングしようという気持ちでいる。



近場の総合体育館で練習しようと話しが友達とついたのだが、本日総合体育館は残念休館日。

近文体育館という手もあったのだが、天気も良かったし、風もなかったし、堤防づたいに忠和体育館へ行く道を教えるには絶好のチャンスだと思い、有希と有希の友達を無理やり巻き込んでチャリンコでの忠和体育館行きを強行した。



結果55分かかって忠和体育館に到着したので、二人とも疲れて十分不満そうだった(笑)。

しかし十分ステキな道のりだということは理解してくれたみたいだった。とりわけ、サイクリンフロードから近文大橋は移動するためには、ちょっとした男の子が喜ぶような忍者道のような抜け道を走り、線路の下をくぐり、雑木林の中をくぐりぬけ、旭ヶ丘の高級住宅街を通り抜けなので、おもしろそうだったみたい。



「この道のりを後輩達に伝えてって欲しい!」というお父さんの熱い語りが、中学イチネンペの心にどれだけとどいただろう。はなはだ疑問ではある。



帰りに3,6祭りに寄った。



まだ5時頃だったので、人はあまり おず。



平和通りに行くと、おばさん達の団体が踊りながら行進していた。

おばさん達の団は これでもかこれでもかとわいて出てくるようだった。

延々ととぎれることなく、おばさん達の列が、、、、

正直言って目を覆いたくらるような光景だった。



観光で旭川を訪れた人が見たら、この町にはおばさんしかしないのか?と、そう思うだろうなぁ、



焼き鳥、たこ焼き、フラッペ、アイスパイン、フランクフルトを食べて、堤防つたいに一路末広へ、、、

いじめと作文

夏休みに入った。

本日、部活から帰ってきた有希はいつものように、「おと 卓球行こ!」と、言うのかと思いきや、

「おと 図書館行こ!」だった。夏休みの宿題をやりたかったらしい。

本日の図書館の無料駐車場はいつになく行列だった。

図書館の隣の公会堂では映画を上映していて、それに運悪く時間帯が丁度ぶつかったからだと思う。

映画のタイトルは「ハードル」だった。青少年育成なんとかの一環らしい。

有希と「なんだか見なくても内容が分かるような映画のタイトルだよね」などと、駐車で待たされる腹いせもあって、いけないとは思いつつ せせら笑ってしまいました(笑)。



待つのにしびれを切らしたようなドライバーさんが一台また一台と行列から抜けて行きました。よしよしと思ったのですが、でも先頭になってからが結構長かった。結局本日は55分待ちで駐車スペースをゲットした。



駐車場待ちの時から、車のせまい空間で有希は休み中の宿題の作文を書いているみたたいだった。



タイトルは「いじめ」である。



聞くと、いじめはクラスで存在しているらしい。

でもそのことを書くと、先生に呼び出されて根ほりはほり聞かれそうで面倒くさいため、自分の周りでは、いじめは存在していないということをそんな風に書きたいらしい。

原稿用紙三枚らしい。

事実とは違うことを、なるべウソをつかないで、3枚分も創作に近い形で、文字を捻出しなければならないため、それがうまいことできない自分に腹が立ってくるらしく、ほとんど悶絶と言っていい程の七転八倒の書けない苦しみを味わったあげく、午前中の部活の疲れも手伝ってか睡魔と戦い、そのあげく睡魔に負けてしまったのだった。



途中、お父さんに



「ねえ おと いじめをどう思う?」と救済を求めてきた。お父さんの言うことをそのまま作文に書いてしまう可能性が大きかったので、



「いじめは無くなるわけないよ、大人の世界だってあたりまえに存在するんだし、子供の世界だけ無くすのは無理だし、昔から存在したし、いじめられる子に問題がある場合だってあるし、親の育て方の問題もあるし、少なくても学校の先生は関係ないと思う。」と、わざと乱暴なことを言うと、



「おとーはいじめられてた?いじめてた?」と、核心をついてきやがった。



「お父さんはいじめられたこともあるし、いじめたこともある。みんな多かれ少なかれ そんなもんだと思う。でも自殺したり殺されたりすることだけは別な問題だと思うよ。そう言えば、ほら この前さ 秋葉原でさ 8人くらい人を殺傷した若者がいたでしょ? あの人さ 「中学生の時、親が書いた作文で賞をとり、親が描いた絵で賞をとった」って言ってたらしいよ!そう言って親に憎しみを吐き出してたらしいよ!」



「、、、、、、、」



そこまで言うと有希の顔はキッと険しくなった。絶望的な気持ちが強烈な睡魔に変わったのはそれからすぐのことだったと思う。

お弁当とタイムカプセル

先週は「中連」続きと上川代表(カミダイ)の応援絡みでお弁当がずーっと続いた。



最近はお父さんがお弁当を作っている。

お願いしたら喜んで作ってくれるのだが、おばあちゃんは足が悪くなってきたのと、朝は血圧が低くなってきて、毎朝 血圧計とにらめっこしていて無理をさせられないため、最近はできたおかずをお弁当箱に盛り付けることだけを頼んでいる。

「お弁当は誰が作るの?」と聞かれた時、「お父さんが作った」と言うと、 「えー ! 」と回りに驚かれるため、有希は、「おばあちゃんが作った」と言うようにしているらしい。(笑)



有希に他の弁当状況を聞いてみた。

有希は大食いの方なので、他の子のお弁当はもっと小さいらしい。



中連やら上代やらの大会の観戦に行くとき、応援席でお弁当を広げる子供達のそばをどうしても歩いてしまう。他の学校の子供達のお弁当をウォッチングする習慣がついてしまった。

元お弁当屋さんの自分としては中学生の持ってくるお弁当の中身は興味の的なのである。



見たところ、約4割の子達は手間のかかった手作りお弁当を持たされている。少しホッとした。

だが残り4割半は冷凍を解凍して詰めただけ(惣菜コーナーのものも含めて)、そして1割半はコンビニで買ってきたもの。

蓋に「¥398天丼」というシールの貼られた食べ物を食べている子供を見ると、その子をたくましいとは思えない、なんだか寂しい気持ちになる。親はどうしても忙しくてしょうがない時はいたしかたないのだろうが、でもなんとかならないのだろうか。おにぎりだけでも作ってやれないのか。それだけでもぜんぜん違うと思うのだが。



冷凍を解凍して詰めるだけなので、中には朝自分でそれをやってくる子もいるらしい。

しっかりしているといえなくもないが、自分の持たされているお弁当が冷凍を解凍しただけのお弁当なのかどうかを子供は実はよくわかっているらしい。

子供のお弁当を覗いて、その親がどんな親かをイメージしてしまう自分は、根性曲がりなんだろうか、自分の驕りなんだろうか、不遜な思いなのだろうか。

自分も手抜きのものを作ることがあるので偉そうなことはいえないが、朝早く起きて、一生懸命手作り弁当を作って、でもそんな苦労は子供には微塵も感じさせずに、親が子供の弁当を一生懸命作るのは当たり前だという前提で手渡す、それが出来ない親は もちっとがんばって欲しいと思うのである。



先日、知り合いの母親とその娘の口げんかを耳にした。

子供がどんな生意気な事を言ったのかはしない、が、親はよっぽど腹がたったのだろう。



「もうお弁当作ってやらないからね!」



それをいっちゃいけない。



気持ちはわかるが、絶対に言ってはいないような気がする。

腹を立てて子どもにひどいことを言う、それは仕方がないかもしれない、(因みに自分もある)、どんなにひどいことを言っても、でも食べるものを作るから、親は感情の動物だということと、そのことと、愛情は別物なのだと 子供はいろいろ物を考えるようになるだろうし、セルフコントロールをマネするようになるんだと思う。甘いかもしれないがそう思う。



お弁当は作るのではなく、作らさせてもらうのだ。自分はそう思う。



弁当を作ってやるという気持ちは自愛でしかない。

作って感謝されたいという気持ちは自慰である。



「もうお弁当作ってやらないからね!」は自慰行為を認めることと、私はあなたのことをあんまり愛していない、というつきはなしであって、チンピラの「いつか覚えてろよ!」という捨てゼリフに等しい。

幼児にしつけだといって根性焼きをする親の虐待と同じである。



かわいそうだから絶対にそんなこと言っちゃいけない。



お弁当は作るのではなく、作らさせてもらっているのだ。

どっかの坊さんみたいなセリフで恐縮だが、なぜだかそう思うのである。

誰にも感謝されることもなく、人知れずせっせと子供の弁当を作る作業通して、親は自分だけが味わえる貴重な思い出を手にできるのではないか。

子供のために人知れず努力する行為を通して、泣き言や愚痴を言わない強い強い人間に変身していけるのではないか。



子供に渡す弁当は親のタイムカプセルなのではないのか。

お前がいつか親になったら、朝早く起きて子供に一生懸命お弁当を作る親になって欲しいという願いを込めたタイムカプセルである。

そんでもって、いつか何かを感じてもらうための時限装置である。

カプセルの蓋を開けたとき、その中に入っているのは親の自愛なのか自慰なのか、それとも無償の愛なのか 大きくなった子供はいつか的確な審判を我々親に下すのかもしれない。



子供が大きくなって、その弁当に込められた内容をどう感じるのだろう。

うちの場合、有希が大きくなって、タイムカプセルを開けるとき、そこには、ある阿呆の一生が詰まっているのかもしれない。的外れな中年男の目を覆いたくなるような気持ちの悪い そんな臭気ぷんぷんたる愛が詰まっているのかもしれない。

それをどう感じるか、うざいと感じるだけかもしれないが、でも自分の人生にどう生かすのか殺すのか、渡したタイムカプセルの効能をなんとなく信じるのみである。冷たい言い方だが、自分の娘のその結果に関しては私の知ったことではない(笑)、有希と有希の運に任せるしかないように思う。

つかのまの幸せ

本日 日曜日、有希は午前中、部活だった。

部活から帰ってきて、また、「卓球しよ」と言われるのかと思いきや、今日は「中央図書館へ連れてってくれ」とのことだった。車で行ってきた。

中央図書館には無料駐車場が2カ所ある(その他にむろん有料もある)。いつもどちらかに停めるのだが、日曜日は大抵 満車なので、待ちの車の行列の最後に加わる。そして車の中でひたすら待つのである。

2カ所のうちどちらかの行列の最後尾に付けるかは掛けとなる。行列の少ない方が早く自分の番が回ってくるとは限らない、そんなゲームの要素があって有希はそのことをおもしろいと感じているみたいだ。

満車の時の駐車場の管理人さんの仕事は 駐車場に停めてある車の持ち主が帰ってきてその一台の車が出ていこうとすると、出入り口のチェーンをはずし、出ていく車を見送る形になりながら、そして行列の先頭車両に空きの空間がどこかを合図し、その車を一台だけ向かい入れ、再度またチェーンロックをする。その繰り返しをするのである。



我々は駐車場に近づいてくる人影を見つけると、駐車スペースが一つ空くかもしれないという期待が膨らみ、もしその人が近づきながらポケットからキーを取り出そうものなら、期待は最高潮に達し、でもそのまま駐車場を素通りしようものなら、期待の膨らみはひとしおなだけに、ドリフのコントのオチみたいに、大げさに体のバランスを崩しながらがっかりする訳なのであります。

親子でこんな一喜一憂を何度か繰り返し、そのうちやっと先頭にたどり着き、駐車場のおじさんのチェーンロック解除の儀式をいまかいまかと待ちわびることとなります。

もし我々の車にシッポがついてたら、そのシッポはうれしくてしょうがない状態を表す動きで忙しいに違いありません。

有希はこのたぐいの一喜一憂が好きでしょうがない子供みたいなのであります。はっきり言って変わってます。

本日は約30分くらい待ちで無料駐車スペースをゲットした後、5時の閉館まで有希と本読みをしました。

その後、日も長いので、まだどっかで「本よも!」とのことだったので、ときわ公園を散歩しベンチで本読みをしました。

娘がまだお父さんと公園を散歩してくれるなんざ、これから反抗期に突入する前の、嵐の前の静けさともいえ、多少不気味さも感じました。

お父さんのつかの間の幸せでありました。



反抗期に入ったら、あだ名を一応考えております。

「第二反抗期」ってのはどうでしょうか、

「おい!こら!第二反抗期 おい!」とか、そう呼んでやろうかと思っております。

中連が終わり

平和な日々が帰ってくると思いきや、

試合が終わった夜も

「おと卓球行こ」と、有希の卓球熱は冷める様子がない。

団体戦は予選敗退だった。残念でした。

取れる試合を取れなかったので先輩達は試合が終わった後、ずっと泣いていたらしい。



有希の個人戦は1回戦目の相手は2年生なので胸を借りるつもりで挑んだと思うのだが、なんと3ー0で有希が圧勝してしまった。(笑)

一年ペの有希に負けて、相手の選手は悔しくて泣くのかなぁと思ったら結構ケロっとしていた。

2回戦目は毎回優勝している中学校のナンバー4の3年生が相手だった。前日この選手を偵察したのだが、はっきり言って、卓球の化け物。

「もし間違って2回戦までいったら、相手は化け物だし勝てるわけないし、だから、できるだけのびのびやったらは?」などと、しゃべっていた。

結果は3ー0で予想通りボロ負けだった。

女子の先輩方は3回戦で全員、敗退だった。

しかし男子は団体戦で優勝。

個人戦はベスト4が二人もいた。



卓球はホント奥が深い。

中学生レベルの話だが、3回戦ボーイとベスト8ボーイ(ガール)の違いは何かというと、スマッシュは早く確実に決まるということ。自分のつぼにきたら、確実にポイントゲットできること。

またスマッシュをうたれたら、弾道を予測し先に回り込んでカットして返せること。

あと、バックハンドスマッシュが確実に打てること。

つなぎのドライブが甘くならないこと。

そしてどのスポーツについても言えることなのだが、ゲーム中、大事なポイントというのがある。

ターニングポイントと言う意味合いとは違うのだが、

ゲームの流れが変わってしまうため、次のポイントは絶対に取られてはいけない、そんなポイントが所々ある。そんなポイントを死守できるかどうか、そのポイントを無造作にミスしてしまうか、それともがんばって死守できるかどうかの動物的な感が働く人間。そんな選手が上に上がっていく選手なのだという気がしてならない。この感は先天的に備わっている人もいるし後天的に鍛える人もいるし、いずれにせよ技巧もさることながら、力の入れどころの配分バランスが抜群にうまい選手、そんな選手が最後に笑うことになっているような気がする。



今回有希はラッキーにも中連に出してもらった。

そのことで次から何をしなければならないかの課題が多少かもしれないがつかめたようだったら、本当にラッキーだったといえるだろう。

男山へ行ってきました

本日も22キロほど走ってきました。

なんと、今は、男山自然公園は春先の一ヶ月くらい、カタクリの花が咲く時期しか開園していないんですね、知りませんでした。自分が小学生の時に来て以来だったのですが、半世紀前というか4半世紀以上前の話しではあります。当時としてはトレンドのゴーカートとかに乗った記憶があります、とても賑わっていた公園だったのですが、残念であります。

(以下、写真をクリックすると拡大されます、戻るの記号などで、戻って下さいね)



P1010002.jpg東鷹栖の3番線とか2番線とかを走ってきました。

国道と違って車がたまにしか走ってないため、ある意味自転車専用道路です。

かめぞうさんゆかりの看板発見。

向こうに見えるのは高速道路です。当時としては資産家色のある手前の木造の建物と「登鶴」の看板のコラボレーションがとても味わいがあります。少なくてもおいらはそう思いました。





P1010003.jpgとても大きな用水路?です。しかもとても深い水路です。多分、石狩川の灌漑用ダムから流れてきていると思われます。場所によっては激流の個所もありました。この大量の水が東鷹栖の水田を潤しているんですね。この水が恵を分配しているのですね。人の歴史は水路との歴史であると再認識させられます。水の温度を感じて見ました。13度くらいかなと思いました。







P1010004.jpg旭川刑務所であります。

のどかな田園風景の中にポツンと存在しています。

旭川刑務所には最高刑の面々が入所していると聞きます。

これもやっぱりコラボレーションかなと。

んで 自分自身も感情を身にまとった動物であります。一歩間違えばここの施設の世話になっていた可能性はゼロではないと思えます。少なくとも真っ直ぐな人生でなかったことは事実です。そう考えると、ここの入所者が他人に思えない気がするのは、そんな気がするのは、自分は普通でない一面を十分持っているのかもしれない、そんな気がしてしょうがないと思うのでありました。

明日から中連

有希は明日から中連だ。

卓球の練習をしているとボールのロスがたまにだが出る。でもホントたまになので、テニスに比べると卓球のランニングコストはたかがしれている。



 人数が少ないので、団体戦と個人戦と両方出してもらえるらしい。個人戦のトーナメントが決まったらしい。有希が個人戦で戦うトーナメント表を見せてもらった。

一回戦は某校の2年生と対戦する。

(ありえないが)その選手に間違って勝ったとしても2回戦はシート選手とあたる。いつも必ずと言っていいほど優勝している学校がある。その学校のナンバー4と対戦することとなる。

何点取れるかが見ものである、こっそり見に行ってこようと思う。



毎日、有希は練習にはまっている。昨日も部活の他にお父さんと2時間びっしりやってきた。

2時間やってまだも練習すると言うので、お父さんは降参宣言した。



「もう勘弁してくれ!」



4月頃は劇的に腕をあげた有希にはもう勝てないのかとあきらめていた。

お父さんは防戦カット型に切り替えたら、ドライブが不安定な有希にまた勝てるようになってきた。(お父さんのカットはあんまり切れていないなしく、有希に言わせるとお父さんはカットマンとは言わないらしい。)



んで、最近また有希は腕をあげた。

有希が打ち込んでくる玉は早すぎて見えなくなってきた。うまくカットできないのである。

毎回対戦するのだが、1セットも取れないのがあたりまえになってきた。



しかし、本日の対戦はお父さんの勝利だった。ひさびさの勝利だった。

防戦型と先行型をごちまぜにやると こちらが有利になるのがわかった。



え?まだ勝てるじゃん! おと まだ いけるじゃん。そう思うとまた元気がでてきた。

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