2010年7月アーカイブ

予選落ち

富良野で行われた上川代表決定戦(かみだい)では、予想通りダメだった。

上川館内で24人出場、6人づつ、4ブロックに別れ、6人で総当り戦をする。

上位2位までが、決勝トーナメントに行け、その時点で、全道行きのキップを手にできる。(計8人が全道にいけることとなる)

有希は4位だったらしい。

結果、今回は予選敗退だった。

ま そこそこのがんばりと言えるだろう。

引率していやだいた先生方 本当にどうもありがとうございました。

また、1人だけ練習相手が認められていて、学校を休んで、有希に一緒に富良野まで行ってくれた、Sちゃん、本当にありがとうございました。

また、JRの駅まで朝早く起きて送ってくれた、Sちゃんのお父さん、本当にどうもありがとうございました。

カミダイが終わって、2日目の本日の土曜日の朝、いつもの土曜日の午前中であれば、部活なのだか、めずらしく、本日は部活が休みだった。

本日は朝は起こさなかった。

いつもはお父さんに、蹴飛ばされて起きる。

「ねぇ おと? 人を起こす時、暴力を振るうってのは、どうよ?」

と、有希はたまに不満をもらす。

「お前が、すっと起きねーから、しょうがないから、蹴っ飛ばしてんだよ アホ

、蹴飛ばす方が、つらいんだよ アホ!」

「意味 分かんねーし!」

なとと、いう感じなのだが、本日は起こさなかった。

有希は昼まで死んだように寝ていた。

昼になってまだ起きないので、

「え 死んでんのかな」と、思ったら、なんと、息をしていた。



そういや、昔を思い出した。

小学校にあがる前、喘息はひどかったので、小学校に上がるまでに、娘は死んでしまうのではないかと思っていた時期があった。

朝、自分が目が覚める。そして隣に寝ている有希が生きてるかどうかを大袈裟かもしれないが毎日確認していた時期があった。

目をつぶっている隣の娘を、一瞬、唾を呑むようにして観察するように凝視する。そして、息をしているかどうかを確認する。スースー寝息を立てている様子にホッとしてから、一日が始まった。

そんなことを思い出したら、おかしくなった。

健康に不安を抱えていた当時と、運動部の試合で疲れて、死んだように眠る娘の今とを比較して、やはり笑ってしまうのである。

死んでるのではないか?という疑問の質が違うからだ。

本日はゆっくり休んでもらうと思う。

明日からまた、お父さんのトーキックで朝が始まることを有希の寝顔は知らないでいた。

中連だった

中連が終わった。

親ばか報告になるかもしれないが、そうでもないと思うので書き込もうと思う。



団体戦は惜しくも予選リーグ敗退だった。



個人戦では、



1回戦 春○台中の3年生と 3?1 突破

2回戦 北○中の3年生と 3?0 突破

3回戦 東○中の3年生と 3?2 突破

4回戦 常○中の3年生と 3?0 突破

5回戦(準々決勝)広○中の3年生と 0?3 敗退。



結果的にはベスト8になり、上川代表決定戦(カミダイ)に出場を決めた。

中連は3年生最後の試合なため、3年生は皆必死な様子なのが分かる。

有希が3年生を破っていく様子は小気味よい感じだったが、最後の中連で、2年ぺの有希に負ける気持ちを考えると、軽々に喜こび、そしてバチが当たるリスクを考えると、そんな気に歯止めがかかった。

なんだか申し訳ない気がした。

2年生の有希が勝ち進んでいく様子に、他校の選手が感情移入してくれたみたいで、カミダイの出場を決めた時は、他校の選手が寄ってきてくれて、「おめでとう」の賞賛を浴びせてくれた。有希はまんざらでもないようだった。(その様子はアホまるだしだった。)



カミダイは来週、富良野で行われる。

「どうせ、一回戦でボロ負けだろうから、お父さんは見に行かねーし、付いていかねーからな、いいな、自分で汽車に乗って、いってこいよ」

有希は、ボロ負けしに行く覚悟ができているみたいで、あっさりと、



「うん」と、お父さんが行く行かないに全然興味がなさそうだった。(泣)



有希のチームには3年生の女子の先輩が1人だけいる。

うちの中学には特別学級はないのだが、国、数、などの教科は特別授業を受けている生徒がいる。

3年生の先輩はその授業を受けている。

ボールの打ち合いは普通にできるのだが、サーブ権がどっちだとか、微妙なポイントルールなどは分からない。なので相手が不正をしても気が付かない。

どうやってサーブ権を知るかというと、相手がサーブを打とうとすると、そのままレシーブをする。なのでその時のサーブ権は問題なく進行する、だが、相手のサーブ権なのに間違ってこちらがサーブを打つ場合なのだが、サーブの格好を一旦することで、「違う違う、サーブはこっち!」のアピールが相手からあり、こちらのサーブを中断し相手にボールをトスする。つまり、サーブするゼスチャーを一旦することにより、その時一回一回、相手の顔色をうかがうことによって、そんな風にサーブ権がどっちなのかを模索するようにして確認する。

相手の顔色を必死で確認する。そしてサーブ権がどちらなのかを必死で判断する。



涙が出るような工夫である。



みんなの中に混じって、みんなと対等に卓球をするため、その自分の願望を達成するため、本人が現場でなんとかあみだした工夫なのではないか。

どうしても卓球がしたいという気持ちが強くなければ、こんな工夫は生まれなかっただろう。



また、卓球は試合で負けると、次の試合の審判と、兼、点数係りをする。

先輩は点数を間違えるため、この先輩が審判の時は試合がよく中断する。(この先輩が審判をする時は、2年生の面倒見の良い子がたえずチェックしてくれいているのて、間違えると、訂正に行ってくれる。)



そんな3年生の先輩は最後の中連だった。残念ながら、個人戦では1回戦敗退だった。



「後輩が勝ったら、うんとほめてあげるんだよ」「負けたら、ドンマイって声をかけてあげるんだよ」と、家族の人におそらく指導されているのだろう、この先輩はいつの試合でも終始一貫、その指導を守り抜いた。



今回も有希が勝つたび、自分のことのように飛び上がって喜んでくれ、かけよってくれた。



この先輩のお母さんが今回試合を見にきていたらしい。

後で人を通して聞いた話だが、このお母さんは一度も試合を見にこなかったらしい。見に行くまいと決めていたらしい。

でも最後なので、今回は見にきたらしい。

そして、このお母さんは、以前、卓球の選手だったらしい。

観覧席から試合中、自分の娘に向かって、「もっと回りこんで、ホラ、ダメダメ!」などと、応援とアドバイスを送っていた。



見に行くまいという気持ちと、やっぱり見に来てしまったという気持ちと、壊れ物のような、そんな親の気持ちを考えると、自分はいい年をして、感傷的な気持ちにならざるをえないのである。



有希はこの先輩からいろんなことを学んでくれただろうか。

母親のつらく切ない愛情に君の先輩を媒体にして、触れることができてくれたら、などと思うのは、こんな思いもバカ親の欲目なのかもしれない。

もし何か学んでくれたのだったら、お父さんとしては非常にうれしいのである。

お母さんに卓球を教えてもらったこの先輩のように、特定の人にだけに見える、特定の人にだけにしか認識できない、そんな福々しさに君はつつまれることになるのではないだろうか。

愛情に包まれて育った子供達に接しながら、そんな中で部活動に精をだすことができ、バカ親丸出しの感もあるが、親としてはありがたいの一言を唱えたい。

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