泣いても笑っても3年生最後の中連がやってきた。
1日目、7月6日水曜日、団体戦。
永山〇中と4ー1で 勝ち
〇門中と 5ー0で 勝ち
広〇中と 4ー1で 勝ち
(予選は一位通過)
準々決勝は我が〇合中はAブロック予選1位の特典のためシード(この時点で上〇代表(カミダイ)が決定)
準決勝 旭〇中と 3ー1で勝ち
決勝 東〇中と 3ー1で勝ち
んで、優勝でした。
ベスト4までが上代にいけるので、大会途中で上代行きが決定した。決定した瞬間、喜ぶものはいなかった。目標は優勝だったからだと思う。
今年は上代に行くのが当たり前田のクラッカーだったが、去年、確実に行けるものだと思い油断していたら、まさかの負け越しで予選敗退だった。そのため気の引き締めが功を奏したみたいだ。またついこの前の団体戦で優勝を逃しているため、皆必死で調整して試合に臨んだ後がうかがえた。
卓球は何があるかわからないのだ。
結果だけ見ると、快勝した感じがあるが、どうしてどうして、かなり苦しめられた試合内容だった。
皆最後の中連というだけあって、必死なのだ。敵の最後のかなりはげしい抵抗に合ったといった感じだった。
なので内容は接戦が多かった。18対18(ディースが7回)とか、そんな白熱したゲームが多かった。
しかし接戦を制したのは、一年生の時から場数を踏んでいる我が〇合中チームだった。接戦で力を発揮させる、そんな底力が伝わってきた,そんな気がした。
団体戦の最後の決勝だが、勝敗の行方はダブルスに委ねられた。
かなりの苦戦だった。1セットとり、1セット取られ、そして1セット取り、1セットを取られた。
2ー2となったファイナルセット、ポイントが6ー5で向こうリードになった瞬間、我が〇合中のコーチがタイムを要求した。
その後、試合の流れが変わった。ナイスタイムだった。
その後、接戦ではあったが、負ける気がしなくなった2人の様子が伺えた。
点数が11点に達した時、ダブルスは勝利し、イコール優勝の瞬間だった。
ダブルスの片方の子は号泣した。感きわまったのだろう。タオルに顔をしばらくうずめたままだった。
1つ目の目標である旭川予選優勝をクリアした。次の目標は上代優勝(全道出場)である。
いつもベスト4に名を連らねている神居〇中はまさかの予選敗退。
いつも予選落ちばっかの広〇中や緑ヶ〇中はこの1月くらいの間に突然強くなり、決勝トーナメントに参戦してきた。
上代の参加は 〇合中、東〇中、常〇中、旭〇中。
さて、
大会2日目木曜日 個人戦
有希の戦績
シードで2回線からだった。
2回戦 東〇中のなんとかさんと 3ー0で勝ち
3回戦 常〇中の原〇さんと 3ー2で勝ち(危なかった)
4回戦 〇門中の塚〇さんと 3ー1で勝ち
準々決勝 東〇中の斉〇さんと 3ー2で勝ち(負けるところだった。冷や冷やだった。)
準決勝 付〇中の都〇さんと 1ー3で負け
結果は3位、ベスト4だった。(目標クリア)
ベスト8までが上代に行けるので、ま 良し良しではないかと思う。
準決勝 付〇中の都〇さんは逆立ちしても勝てる相手ではない。なので有希が1セットとれたのは奇跡的だった。
去年有希はベスト8だった。なので成績は1つ上がっただけだなのだが、2年生だった去年が奇跡だったというか、去年のくじ運が恐ろしいほど強運だったと一年経ち振り返って思う。
次の目標は上代ベスト8(全道出場)である。
残念な結果報告になるのだが、我が〇合で個人戦での上代出場はまさかの有希だけだった。
優勝チームなのに、まさかのまさかである。同じチームメート2、3人くらいが一緒に行ける予想を立てていたので残念でしょうがない。
皆、昨日の死闘の疲れが出たのかもしれない。また団体戦で上代に出場できることが決まったため、気が揺るんでしまったのかもしれない
。準優勝チームからも上代決定者は1人だけしかいなかった。でもこの傾向は毎年見られる傾向なのである。
目立ったのは、昨日の団体戦で上代を逃したチームの選手が多いことだ。昨日早々と負け、その後すぐ学校に帰って、負けた気持ちをバネにして卓球の玉を打って打って打ちまくって調整してきたような様子だった。負けたエレルギー恐るべしである。
本日の有希は危ない試合が多かった。よく勝ち進んだなぁという印象だ。
本日旭川は30度を超えた。その暑さも手伝って、有希の危なっかしい試合はお父さんの体から汗を噴出させた。
今日ほど、祈った日はない。無信仰な自分だが、クリスチャンのマネをして右手と左手をがっちり結びつけたままだった。
祈りのポーズだと人にバレるのが恥ずかしいため、ギャラリーの木製の手すりの上に握った両手の固まりを置き、もたれかかることで祈りのポーズがばれないようカモフラージュした。
祈ったのには理由があった。
娘の応援の目的もさることながら。実は中連の大会の前夜、(団体戦の前日の夜)、自分は有希を怒鳴りつけてしまったのだ。
我が家の恥部になるので書込みをすることではないのだが、詳しい内容は省略するが、生意気な口をきいた有希に対して、怒鳴りつけたのである。(怒鳴る程の事でもなかったのだが、、)
「中学生のガキがぁ 何 ほざいてんだぁ! コノヤロー!」
いつものように大声だった。
怒ったお父さんの前で有希は人格などこれぽっちもなくなる。
お父さんに人格を全否定される。囚人のように、、、
有希は反論を許されない。なので泣くしかない。
自分は親に生意気な口を効くことやふてくされた態度を絶対に許さない。
怒ったお父さんは今時、最低の父親なのである。
いつものように封建的なお父さんの、カッとなった行動というか、思慮のない怒りである。
お父さんが叱るつける時、窓ガラスが割れるのではないかと思う程の大声がでる。
有希は泣いた。しばらく布団にもぐってひんひん泣いた。
大会前日の夜寝る時のことである。
次の日が中連だろうが、受験だろうが関係ないのである。
叱りつけるタイミングに中連もクソもない。自分はそう思ってしまう人間なのだ。
これが自分の欠点であり、未熟さなのだといつも反省するのだが、時すでに遅しなのである。
次の日の朝、大会に行く有希に弁当を渡した。有希の目は泣きつかれ腫れて顔は青白かった。
お弁当を作って手渡してくれるお父さんに文句は言えないのだろう、でもおもしろくない、お父さんとはもう口も利きたくないという、そんな思春期の女の子特有の複雑なふくれっつらだった。
こんなお父さん家庭に生まれた有希は、精神に異常をきたしている父親(そう思われてもしかたがないのだが)に服従するしかないのである。
なので、実を言うと、大会に望む有希のモチベーションは最悪だったのだ。最悪にしてしまったのは親の自分である。
腫れた目元と青白い顔で、三年生最後の中連に有希は望んだ。
案の定有希の卓球の調子も最悪だった。
もし肝心なところで有希が負け、優勝を逃したら、それはお父さんのせいだった。
なので、祈ったのである。
1日目も2日目も、ただひたすら祈りとお詫びがごっちゃになった合掌は汗だくだった。
ギャラリーの木製の手すりと自分の肉体の間になまぬるいベショベショの汗を十分気色悪く感じながら、ただひたすら祈ったのである。
中連の有希のモチベーションは最初から最後まで上がることはなかった。
その最悪の精神状態の中で上代の2つのチケットを手に入れたのだ。
親バカになるだろうが、というか自分が言うことではないのだが、そんなこんなは評価に値するものと考える。
前日怒鳴りつけ、次に日、祈りを捧げる親の自分、どちらにしても頭の良い親ではない。
個人戦でいえば、準決勝までは、有希は3ー0のストレートの快勝で勝ちあがっておかしくない。途中、かなりポイントとセットをとられ危機一髪の場面が沢山あった。足を引っ張ったのは親の自分である。
有希にすれば、お父さんにモチベーションを力いっぱい下げられ、でも、それを理由に負けたくなかったのだろう。全然上昇しないモチベーションと戦いながらの2日間、己との自爆的な精神との戦いだったのではないか。
本当に申し訳ないの一言に尽きる。
自分を正当化するつもりは全く無い。
最低の父親に正義も分もない。
こんな父親に付き合わなければならない有希の不幸はあと数年間続く。
しかし、頑固一徹、昔ながらの封建的な親父である自分には本人に謝る気などさらさらないのである。
遺書の中で散々謝ろうと決めている。