旭川はものすごい吹雪だった。一日で40センチくらい積もっただろうか。
運転は前の車のテールランプ頼りで走った。1キロくらい走るごとに、そんな間隔ごとに、車が雪山に突っ込んでいたり、接触事故が発生していたり、あり得ない光景だった。皆さんたいへんそうだった。
嵐の時の車の中では人の声が聞きたくなるため、ラジオをかける。BGMが流れると、外の景色はなんだか異空間に見えるため、雪山に突っ込んで困っている人の場面は余計他人事に思えてしまう。
なので一路、帰路に。(笑)
先日、有希と有希の女友達2人、計3人が学校の玄関で、ある運動部の男の子達に雪玉を投げられた。からかわれたのだろう。有希も含めた2人は雪玉をぶつけられたら、ぶつけ返すタイプなのだが、雪の玉がもう一人の女の子Rの胸のあたりにぶつかったらしい。Rは先生にいいつけた。
R「私、彼らに謝ってもらわなければ、気がすみません。」
先生「わかった、その部活の先生に言ってみる、わかったよ!」
次の日、その部活の顧問の先生に「あやまってこい!」と言われたのだろう。3人の男子がRにあやまりにきた。
Rはまた先生に言った。
R 「にやにやしてあやまられたので、気がおさまりません。!」
先生「う うん わかった。」
次の日、その顧問の先生がRにあやまりに来た。
それを聞いて有希と話しをした。
父 「なにそれ! R ちょっとひどすぎね!お前だったら、先生にそんなこと言うかよ」
有希 「言わない」
父 「男子はちゃめっ気でぶつけてきたんだろ」
有希 「うん」
父 「そうだよなぁ ふつー 顔にぶつけられても言わないだろ!」
有希 「うん」
父 「こまったなぁ Rちゃん、そんなことしたらどんどん孤独になっていくじゃん。
誰も相手にされなくなっていくじゃん。そういう子にかかわったら厄介だから、近づかなくなるよな。
クラスで存在しなくなっていくだろうが、
意地悪な子にいじめられてるうちはまだましなんだよ、きっとさ。
普通の子にまで意識されなくなっちゃうじゃん、それって、本人にとっては理由もわからずに、
孤独に向かって突き進んでいくことになるんだと思うよ。
自分は間違っていない っていう物差をしっかり握りしめてるんだろなぁ きっとさ。
そんな物差し 「捨てろ!」って、普通は親が小さい頃から教えてやらなきゃならないんだよ、」
有希 「、、、、、、」
子供に正しいことを主張せよと、そう教えるのはなにも難しいことではないのだと思うのだが、
相手を許すことを教えるのは、非常にむずかしいことなのかもしれない。
実を言うと、自分ちもそれが出来てないような気がする。
相手に「ばーか」と言われて、「ハイハイ私はばかですよ」などと、笑ってすぐきり返すことができるような子供は、冗談が通じるのではなく、人を許せる度量が大きいからなのだと思う。こどもは親のこの度量をまねるのではないかと思う。
「ハイハイ私はばかですよ」と切り返せる子供になってくれれば、親は「こっちのもん」なのだろうと思うのだが。
というか大人の世界でもこんなことを許すとか許せないとかを毎日やっている。
親だよ親、結局。
相手を許す魔法の薬は、実は幸せの薬。妥協の薬なんかではない。みんなが幸せになる薬。がまんできる薬ってな訳じゃないから、許すという表現より、「許させてもらう薬」という表現の方がわかりやすい。その薬をなんとか子供に持たせてあげたいんだけどなぁ、自分が死ぬまでに。
どうやったらもたせられるんだろうか。自分も持たせてもらえなかったような気がする(笑)、だからこそ、子供にはなおさら持たせてあげたいのだが、、
でも、子供に幸せになって欲しいって、そういうことなんだろうと思うぞ。